keep on
自分でも忘れかけてたんですけど、わたしって2020年に担降りしてるんですね。付近のポストを遡ってみたらどうやらその直前にプライベート関連の報道があったようです。で、ショックを受けたから降りたのではなく、ショックを受けなかったから降りたらしい。めんどくさい人ですね。
でもたしかに、この頃のわたしは、翔くんと積み重ねてきた時間の答え合わせがすべて完了し、怒りや悲しみやもどかしさや嫉妬といった負の感情から解放され、残ったのは「感謝」のみになったことを覚えている。感謝しかないから降りるのだ、と奇妙な文章を書いた記憶も若干蘇ってきた。
それは嵐が活動休止したときもそうで、そのあとの5年間も、ずっと似たような感情を持ち続けていた。
なんというかもう、忘れてもいいと思ったんだよね。
わたしは小学生のときに翔くんを好きになって、進路も、人間関係も、価値観も人格も、大部分が翔くんによって形成されたという自覚がある。私の人生に翔くんは切っても切り離せない存在で、この先どこに転がっていこうとも、道を辿れば必ずそこに翔くんがいることを知っている。嫌いになっても、綺麗さっぱり忘れてしまっても、それだけは絶対に変わらない。変えられない。
わたしがこれから手にするありとあらゆる幸福のきっかけが翔くんであることはもう確定しているから、忘れることも怖くないと思ってた。
なんかもう、恩師なんですよ。恩師のことをあなたは担当と言いますか?って話ですよ(?)
忘れても、じゅうぶん根付いたから、もう大丈夫なんだって思ってた。
なぜこんな話をしはじめたかというと、2026年6月3日現在、絶対に絶対に絶対に忘れたくない、と思っているからです。
この6年間のわたしに、お前はバカなのかと言ってやりたいね。これほどまでに強い感情を抱き、人生に多大なる影響を与えられ、感謝してもしてもしたりないくらい感謝しているのは、生涯で一番好きだったからじゃないかと。
そんな当たり前のことが抜けていたのではないかと。
ただただ翔くんが好きなだけなのに、ずいぶんと長い間(2020年よりももっと前から)ずっと遠回りをしていたような気がする。久しぶりにコンサートで翔くんを見て、周回遅れでやっと追いついたような気がする。わたしこの人のこと、一番好きだった。それだけだったと、やっと。
忘れることは必ずしも悲しいことじゃないという気持ちは今も変わらないけど、覚えていることにだって意味はあるとやっと分かった。翔くんが好きということ、それを覚えておくことで、頑張れることがたぶんまだまだある。
ましてや翔くんは生きていて、活動を続けている。忘れるにはまだ早かった。好きな人が頑張っているからわたしも頑張ろう、そういう気持ちを、まだ持てる。
勝手に恩師なんかにして、ごめんね。
でも、わたしまた忘れると思う。この休止期間中もずっと忘れなかった人って本当にすごい。そんな人からすればこれってずいぶん都合のいい話だと思う。それでもわたしはまた忘れる。そしてちゃっかり楽しく生きてると思う。そういう、都合のいい人間なので。
だけど以前とは決定的に違う部分がある。もう、忘れてしまってもいいとかは思わない。
わたしが忘れそうになったら、思い出させてほしい。他の誰でもない、翔くんに。
わたしはこれからも櫻井翔を応援している。
翔くんの人生の幸福を望むわけじゃない。そんなもの、彼自身が舵を取ればいい。当然悲しいことは起こってほしくないけど、わたしが祈ることでもない。
わたしが望むことは、翔くんがこれからも、わたしの目に触れるところで活躍してくれること。それだけ。
そのことを、応援している。思い出させて。わたしが忘れるたびに、何度でも思い出させて。
そんで欲を言えば、またマイク持つ姿を見せて(どさくさ)
辛いときは休んでいいよ、元気に生きてくれているだけで幸せだよ。そんなことは、わたしじゃない他の誰かが言ってくれるからわたしは言わない。
頼むよ!!頼むよ翔くん。頼むよって言える、強くてかっこいい翔くんが、わたしの好きな翔くんなんだから。
ファンの皆さんの生き甲斐であることが自分の生き甲斐だった、というあの言葉は、これまで幾度となく繰り返してきた答え合わせを包括するような、総まとめみたいな言葉だったなと思う。
空に向けて続けてきたこの航海ももう終わり。
次は別の海で、わたしはわたしの答えを出すから、そのときはもう一度、大きな丸をつけてね。
ということで、私は櫻井担です。
一時帰還(We are ARASHI 2026.5.15)
2020年12月31日、唇を噛んで必死で涙を堪える翔くんの表情でわたしの記憶は止まっていて、そこから5年、振り返るにはあまりにもいろいろありすぎた5年を経て、会場に足を踏み入れた瞬間にメインステージから広がる大きな階段が目に入って、ああ、あの日の続きをやりにきたのだとすぐに理解した。
嵐はたぶん、今回のこの期間のことを「活動再開」という言葉で表現したことはなかったように思う(わたしが見逃してる可能性はある)。わたし自身も活動再開と捉えたことは一度もない。むしろ逆で、きちんと活動を終了するための期間だと捉えてきた。
だからほんとにさ、5年前、光の中に嵐が消えていって虹がかかったあの空、まさにあの空からまた嵐が現れたときは、なんかもう、神様じゃんと思った。1曲目、メインステージのあのデカいエレベーターみたいなやつが5人を乗せて降りてきて、最後の曲で還っていくのはそういうことなんだよね。空にいる嵐が、わたしたちのためだけに3時間だけ地上に降りてきて、そしてまた空に戻る。でも今度は光の中に消えるんじゃない。宝箱にしまって、空に溶けていく。
はーーーーー、思い返しても完璧ですね。幕の閉じ方っていろんな方法があると思うけど、活動休止のときは光に包まれ姿が見えなくなる、活動終了のときはきらきらと輝く宝箱に入ってしまう。ステージから降りる・去るなどの方法を使わない、こんなに切なくて美しくて納得せざるを得ない閉じ方って他にあんのか。どうしますか?グループ活動をしている世界中の皆さん、最適解がもう出してしまいましたがこれからどうする?
嵐のあのハッピーな形をハッピーな形のままちゃんと宝箱に閉じ込めるために、空からたった1回だけ地上に降りてきたんだなと、本当にそれだけなんだなと思う。で、嵐のハッピーたるゆえんには少なからずわたしたちが関係していて、わたしたちに感謝を伝えずにはハッピーでいられないんだろうと思う。それだけ。本当に、それだけのために。
だからこそすごいと思う。嵐が嵐をよほど大事に思ってないとそんなことできないよ。想像の25倍くらい踊ってくれたけど、5人の踊る姿が見たいんだっていうアラフェスのときにバレたわたしたちの気持ちを今もなお汲んでくれてるんだよ。もうあんまり踊れませんって言ったって誰も文句言わないだろうに、踊ったほうがわたしたちが喜ぶから踊ってくれた。嬉しい!Step and Goをお手振りじゃなくてちゃんと踊ってくれて本当に嬉しい!!
もちろんたくさん泣いたけど、それ以上にたくさん笑った。寂しいよりも楽しいが上回った。あぁ、また明日から頑張ろうって自然と思えた。嵐のコンサートに行くといつも抱く感情だった。Love so sweetの「こんな好きな人に出逢う季節二度とない」のところでスクリーンに映る翔くんを見て、本当にな、と思った。二度もあってたまるかよ、とも思った。もうこんな熱量で誰かのこと好きになって人生betするのしんどいもん。嵐が最後でいい。ああもう、これが最後でいいって本当に思った。涙が出た。
終盤も終盤、かなりエモい空気になっているところに、挨拶前に無理やりHappinessをねじ込んできたの(あれは本当に無理やりに近かったと思う)、泣かせるためじゃなく楽しませるためにやるんだという、潤の美学を超えた執念を感じてとても好きだと思った。わたしはそれを受け取れたと思う。
感情のすべてを言葉にするのは難しい。確かなことは、2020年12月31日は涙で霞んでよく見えなかったけど、2026年5月15日に見た空は本当に綺麗だったこと。いつまでもあの空を眺めていたかったから、いそいそと銀テープ集めてる人とかよく分かんなかった(突然の悪口)
でもどうだろう、2026年5月31日はまた別の感情になるのかな。その日になってみないと分からないけれど、少なくともわたしはこの3時間のことをずっと忘れないし、5人も忘れないでいてくれると思う。次の約束がなくても、思い出を胸に生きていくことって、できると思う。寂しいことじゃないと思う。どうかお元気で、と思った。わたしも元気でいるから、と。
まぁポエムはこんなところにしてここからはしょうもない自分用メモを書いてくよー思い出したら随時付け足す
・翔くんと潤の顔がしっかり丸いし、しっかり二重顎
・生で見るとより老けを感じスケッチの歌詞が刺さる(5年てのは短くはないって事だよ)
・でも愛してる(免罪符)
・逆に大野くんは全然老けてなくてすごい、歌も踊りもビジュアルも。あの人何者なんだ
・とにかくステージ上に5人固まっていることが印象的だった。トロッコも5人で乗るし、メインステージでもいっしょに上手に行っていっしょに下手に行く。MCを除いて着替えで誰かがいない場面もなかったと思う
・Monster→truth、かっこよくってありがとう、ここにきてダンスパートを増やす嵐の気概よ
・マイガールの今日のことが思い出の一つになっていく瞬間と、感謝カンゲキでステージ上から見える客席の景色が映し出された瞬間が一番泣いたかも
・俺らの名前はなんだ!せーの!嵐ー!!!!…ティキソーソー ←ありがとう
・最後のコンサート、最後の曲で、嵐の最新曲と紹介し、Fiveと言いながら手で作った5を差し出す。宝物
私情
わたしが嵐のコンサートに初めて行ったのは2009年9月25日。おそらくその日も持って行った「翔」とだけ書かれたうちわを今回も持って行った。あまりにもボロボロだったので修復した。翔くんはいつだってわたしのことを分かってくれていて、その虚言(もちろんわたしは虚言と思っていませんが)はこれまでも散々口にしてきたことだが、今までで、一番分かってくれた。翔くんがわたしに対してありがとうって思ってくれてる瞬間が確実にあった。これガチで。なぜかというと席がめっちゃ良かったので。街中で嵐のグッズを使ってる人を見かけるたび嬉しくなる、あの子も来てくれるのかな、なんてことを翔くんは言っていたけど、言葉展のときのあの光景とかさ、ほんとに見てほしかったんだよ。翔くんに会えない間も翔くんのことが好きな人がいることを分かっててほしいって思ってた。それで、これからも翔くんのことを好きなままでいるんだよってことを分かっててほしいと思った。分かっててね、分かってるよ、っていう会話をね、したわけ。さすがに虚言です。いやでも、本当です。あの会話は、今後数十年生きていける理由になるなー。櫻井翔と櫻井翔ファンらしい空気が流れたんだよ、うちらにしか分からない空気がね。みんなには分からないだろうけど。それをこんなタイミングで味わえて本当に幸せだったんだ〜っていう、自慢!
#ThankYouARASHI
小学生のとき、はじめて嵐のコンサートに行った。そのとき付き添いできてくれた母親とは、今でもしょっちゅういろんなアーティストのライブに行く。
Twitterでできた友達と会うようになったのは中学生の頃。わたしはここ数年ですっかりバンドにハマったけれど、思えばきっかけとなるライブに誘ってくれたのはこのときできた友達だ。
はじめて遠征したのも中学生のときだったっけな。嵐のおかげでいろんなところへ行けた。いろんな人に出会えた。おかげで全国各地に宿があります、各位いつもありがとう。
高校生のとき、大学受験を控えたわたしは「今は翔くんに会うことを我慢して勉強したほうが翔くんに近づける」と本気で思う少々イタい子になった。無事第一志望の大学に合格した。
大学、超楽しかった。ちょっと嵐のこと忘れるくらい楽しかった。それも少々イタくなれたおかげだ。嵐と翔くんがそういう人だったからだ。
わたしは今年の4月から社会人になった。
そして今、痛感していることがある。
嵐好きになってなかったら、ぜんぜん違う人生だったんだろうな。
まずたぶんこの仕事就いてない。将来の夢を見つけてくれたのだって嵐だ。大学は絶対違うところに行ってただろうし、下手したら高校すら怪しい。なにより性格が違かったと思う。学生時代のだいたいを嵐に捧げた功罪はデカい。嵐にバリバリ人格形成されてしまった。あとなんかネットリテラシーとかけっこう身についた。今の時代大事だから助かる、ありがとう嵐。
わたしは、そんなわたしの人生を、わりと気に入っている。紛れもなく嵐が導いてくれたこの人生を、気に入っている。そしてこれからも気に入り続けると思う。そこに嵐がいなくても、だ。
この先の人生もずっと、わたしの道はもうずっと、嵐に導かれたその延長線上にしかできない。辿れば必ず嵐に会える。
悲しいなんて言ってたまるかよ。悲しいわけがないよ。嵐のおかげでわたしの人生めっちゃ楽しいんだから。今も楽しいんだから。好きな人いっぱいできた。好きな場所もいっぱいできたよ。感謝しかない。これからもわたしの人生は楽しくあり続ける。嵐が導いてくれた人生、その延長線上で、楽しくあり続ける。
悲しいなんて言ってたまるかよ。
嵐。わたしの人生を、こんなにも楽しくしてくれてありがとう。どんなに寂しい日がきても、もしも寂しさすら感じなくなる日がきても、それだけは絶対に変えられないよ。忘れても覚えているよ。
戻ってくるとかこないとかどっちでもいいから、ただ5人が幸せだと思う選択をし続けてほしいと心の底から思う。
その選択に「嵐」を含む日がくることを、うっすらとバレないように願いながら、でも今日は、やっぱり感謝の言葉しか言わない。
ありがとう。嵐のファンになってよかった。こっちはもう大丈夫。これからの5人の人生に、悲しいことができるだけ少なく、嬉しいことができるだけ多く起こりますように。
2019/12/15オトノハに寄せて
自己満足のために設置してるお題箱に2019/12/15のオトノハの解釈について質問が何件かきていて、えーーー、わたしわりとすーっと読んだからわかんないよ、てか翔くんはロマンチストだからかっこいい言い回ししたいだけなんだよ、でわたしもロマンチストだからその言い回しにまんまとやられてるだけだよ、うーんでもせっかく質問してくれたし、そのまんまとやられた、を言葉にしたらどうなるかしら、って書いてみたらクソ長くなったのではてブへきました。ようこそ。
ちなみにお題箱には
・横取りはさせない。曲解もさせない。これは誰にさせないのですか?
・寂しくなったあなたのあなたって誰ですか?
・いつも気付くと"みんな"に向いてるのみんなは誰ですか?
・独り占めは誰が誰を独り占めなのですか?
らへんの質問が多かったので、そのへんに触れながら話します。あくまでもわたしの解釈ね!
初めに「櫻井翔を応援してくれてるあなた」に他担は含まれるのか否かみたいな議論がありまして。んで、まぁ、いいんだけど、いいんだけどさ、わたしはね、翔担のことだと思うのよ。他担だけど応援してるから入ってるよね、というのもほんとにおっしゃる通りなんだけど、否定するつもりはないけど、わたしの解釈ではやっぱり翔担のことなの。
まず翔くんの一人称が俺に変わる前に「誰か1人にとても喜んでもらうことは、その代わりに、沢山の誰かが少し寂しくなるのかもしれない」っていう一文があって、これは明確にファンサのことだと分かります。そのせいで誤解させてきた、寂しい思いもさせてきた、だからこそ、「一番伝えたかった人に」伝えると言って、「俺は。」から始まるのです。
わたしは心が狭いから、ここに翔担以外の人が入ってくんのはちょっと許せない。翔くんじゃなくてわたしがね。だって聞きたい。あなたは寂しい思いをしたのかって。
いや、大前提として、わたしは翔くんのその行動について寂しいなんて思ったことは一度もない。だって翔くんのことを理解しているから。そんな翔くんが大好きだから。
でもそういう意味じゃなくてさ。みんな自分の1番好きな人に、指差してとか、ピースしてとか、そういうの見せて、もらって、やってきたわけじゃん。わたしは嵐のコンサートに初めて行った10年前からずっと同じ「翔」とだけ書かれたうちわを持って行ってて、それを大事に振ってきたんですよ。ここに翔くんのこと大好きな人がいるよってそんな程度の気持ちを込めて。深い理解のもとで。
その10年に、簡単に入り込まれちゃ困る。
「内野」に他担も入ってるのかとかそんな議論は野暮で。入ってるか・入ってないか、どっちかだったらそりゃ入ってるよ。翔くんが嵐ファンを外野にするわけないじゃん。
けどさ、けど、お互いの深い深い理解のもと、作り上げた関係性の答え合わせをちょっとだけさせてくれよって話なわけですよ。一瞬じゃん。数行じゃん。いいじゃん。それだけの話なんだよ。いまそんな議論やめてよ。ちょっとだけ2人だけの空間にさせてよ。
だから、いつも気付くと"みんな"に向いてるの「みんな」が、一般人のことなのか、それとも嵐ファンのことなのか、みたいな質問もいただいたけど、明確に後者だと思う。だからこそその前に「寂しくなったあなた。ごめんよ。」という一文がある。一般人なら「ごめんよ。」と謝る必要すらないもの。
誰か1人を喜ばせることで他の99人が悲しむこともある。今まで散々そう言ってきた翔くんが、初めて1人を喜ばせるほうをとった。翔くんは誰よりも知ってる。他の99人が悲しんでいること。だからごめんねって言ってる。だから「たまには」独り占めさせてほしいって言ってる。
この独り占めがどういう意味か分からん、みたいな質問も何件かいただいたけど、もうそういう意味でしょ。今は"みんな"の櫻井翔じゃない。櫻井翔本人と、櫻井翔を応援してくれてるあなただけの、2人だけの、空間と時間にさせてくれないかってことだよ。
横取りはさせない。曲解もさせない。も、同じような意味だと思います。加えて翔くんは、自分の最大の敵を「作られた真実」なんていう人ですから、他の何も、誰も通さず、自分の言葉をそのままっていう意味も当然含まれていると思います。
ちょっとだけ怒っていることがある。他担を捨てたみたいな言い方をする人はほんとうになんなんだ。指さすじゃん。ピースするじゃん。釣るじゃん。それと同じだよ。お題箱に「しぬほど羨ましいけれど、自担からの特大ファンサ、おめでとうございます。」ってコメントがきてね、これがもうしぬほど嬉しくてですね。
たしかに特大ではある。それは認める。羨ましく思われて当然だろう。そんなん分かってる。誰よりも翔くんが。
みんなに指をささなかったわけではない。ただあなたに指をさしただけである。
みんなを見捨てたわけじゃない。ただあなたに伝えたかっただけなんだ。
なんだけどな〜わかんないかな〜。
わたくし個人の感想としては、Twitterにも書いたけど、オトノハまじ全文げろ泣きだが、そのなかでも特段「今年ももう終わるね。沢山の理解と応援を、いつもいつもありがとう。」がやばい。
そうやって、やってきたつもりだったから。わたしなりに深い理解を持ってやってきたつもりだったから。それを翔くんも分かってくれてる、その関係性に自負を持ってきたから。なにより、今年はそれを感じる場面が多かったんだよなあ。翔くんのことより深く知れた気がする。そして翔くんもより深くわたしたちのことを知ってくれた気がする。
だからなんか、今年ももう終わるね、が泣ける。そんな今年が終わる。より深く繋がれた今年が終わる。
今年ももう終わるね。来年も、翔くんの信じる道を進んでね。大丈夫。ぜんぶわかってるから。
櫻井翔の言霊(2019ver.)
(※一部ツアー中の『5×20』公演の内容を含みます。)
以前に書いた「櫻井翔の言霊」という記事が未だにちょこちょこ見られているようなのですが、文章が若い恥ずかしさとかそれ以降にリリースされたものを付けたしたい願望だったりとかあと卒論いい加減に飽きたので好きなことが書きたい欲望だったりとかで、大幅に加筆修正してみようと思いました。
ということでさっそく参ります。
櫻井翔がラップを通して紡いできた物語。
2006年
まずは『COOL&SOUL』から。
この曲は2006年に発売された『ARASHIC』というアルバムに収録されている。もちろんラップ詞は櫻井翔。ていうかこの記事に載せる歌詞は全部翔くんが書いたものです。言うまでもなく。
5人で奏でるのはHIP HOP じゃなく真似し難い様なHIPなPOP
そして幕開け第二章
似せてみようならそれは第二号
いきなりとんでもない煽りから始まる。今から歌うのはヒップホップなどではなく、嵐でしか奏でられないヒップ“ポップ”だという。それを真似したって第二号に過ぎないというわけですね。2006年、嵐はこの武器を持ってアジアに飛び立つ。そこに翔くんは嵐「第二章」の幕開けを感じている。
水滴じゃなくなってくぞ
想定しな最悪のケースを
手組もうが吹き飛ばすほどの強風
嵐がやってくるというその勢いを気象現象の「嵐」になぞらえて表しています。
アマテラスの頃から俺らは地上の遥か外側
アマテラスっていうのは日本神話に登場する神。日本神話、つまり大昔からってこと。俺らは地上の遥か外側っていうのは、「嵐」という現象はフラットな場所ではなくものすごい高いレベルのところで起きるということです。このへんは翔くんがラジオで解説していたことなんだけど、翔くんはそれ以上のことは何も言っていないのでまぁ各々想像しよう。
つまりこの「嵐」はただの気象現象について話しているわけではないってこと。歌詞をよく見てほしい。「俺ら」である。
下界に向けて吐き出す言霊
言霊というのは、先ほど出てきたアマテラスという神様が持っている力のことです。願いとか祈りとかそういう次元の言葉の力ではなく、「言えばそうなる」って次元のやつ。例えばアマテラスにわたしと翔くんは夫婦であるって言わせたらもうそれは夫婦なワケよ。なにそれ最高。言って。
だからここでアマテラスというワードが出てくるのは「大昔から」ということが言いたかっただけでなく、「言霊」というワードに繋げるためでもあったと思うの。で、「頃から」「外側」「言霊」で韻を踏んでるっていうんだから、もう、天才ですよねっていう…。
アイドルタイトル奪い取る快速“マイク持つアイドル大国”奪い取る
この死ぬほどタイトな韻を踏みながら、この国でアイドルのタイトルを奪い取る、つまりトップになると高らかに宣言している。
ちなみに、外側に向けて「忠告」し続ける一方で、内側にはこんなことも言っている。
だから俺にしがみつきなさい守り通すヤツらだと曰く付き
この歌詞に関して翔くんはこんなふうに発言している。
“曰く付き”って本当はネガティブなイメージでしょう?あえてその“曰く付き”を使う、そうすることによって「周りに悪く思われるくらい身内にはやさしい」ということがたった5文字で表現できる。
いやもう離れられないよね。
でも、あくまでも『COOL&SOUL』は言霊に過ぎないんですよ。だって2006年だよ。横アリで、ヒョウ柄の衣装着て、ゴリゴリのアイライン引いて。大風呂敷を広げてるなんて思われちゃっても仕方ないのに。
でも、このあと海の向こうに旅立った5人は大きなお土産を持って帰ってくることになります。
2007年
『COOL&SOUL(DOME‘07ver.)』
そう。次に嵐が日本で『COOL&SOUL』を披露した場所はアリーナではなくドームだった。
すでに幕開け第二章
似せてみようとも追いつかないかも
2006年バージョンと比べてほしい。幕はすでに開けた。似せてみたっていいですよ、第二号どころか追いつかないだろうから。
このときになってやっと「いま居合わせる君幸せ この歴史を後世に語れるだろう?」の本当の意味を痛感せざるを得ない。
非公式であるもののオタクにはおなじみである「ジャニーズ楽曲大賞」のコメントをここで紹介したい。
「いま居合わせる君幸せ この歴史を後世に語れるだろう?」
これ以上のオタクであることの恩恵はきっとないだろうし、そのことに対して櫻井翔が自覚的であったというだけで恐ろしいグループだと思う。*1
君たちは歴史の目撃者なんだと。
これが「嵐の歴史の分岐点になる」ということ、それだけでなく「それを目撃できる君たちは幸せである」ということ、この2つのことを確信しているからこそ書けるこの言葉。震えずにはいられない。
そうなんです。これは歴史の分岐点なんです。
2008年
ありえねえよ。ドームきちゃったってビックリしてたら、わずかその1年後に国立きちゃったよ。ありえねえよ。ありえねえ…ありえねえのに、この人たち、なんて言ったと思う?
ということで物語は『Re(mark)able』に移ります。
とんでもなく甘い気象予報いわく俺らは異常気象
噂じゃどうかな まるで大穴 そんなもんで勝てそうかな
お前らの予想が甘いって言いよった!「嵐が売れるなんて大穴だった」という甘い甘い予報士たちに、この現象は「異常」ではなく「正常」なんだと言いのける!そんなんで俺らに勝てるわけないってめちゃくちゃ煽られてるやんけ。
兎よりもカメ進む猛追
もちろんかの有名な兎とカメの話からきていますが。こんなに嵐のことを的確に表した言葉ある?一歩ずつ一歩ずつ歩みを進めてきた彼らは、兎が油断している隙に、ついに猛追を始めるわけです。
耐え切れず今じゃ大洪水
『COOL&SOUL』では「水滴じゃなくなってくぞ」と言っていたのが『Re(mark)able』では「耐え切れず今じゃ大洪水」になっている。勢いが増していく様を「水」というキーワードを変えぬまま表しているんですね。
そう類を見ない程にじわりじわり進み行きここ東京の中心から世界へ羽ばたく
メイキングで散々「不慮の事故だ」とか言ってるけどあんたこんな詞書いちゃってるからね。
『COOL&SOUL』では「似せてみようならそれは第二号」と言ってるのが、『Re(mark)able』では「類を見ない程」になっているのも鳥肌。いやそりゃ見ないよ。初ドームの翌年が初国立ってどんなおばけだよ。
研いだ爪を隠し牙を剥いた嵐に、甘い予報士たちは堪えうつむくしかなかった。
なにが憎いって。こんなに大きくなってしまった嵐が、しかしこんなことを歌う。
未だ決して何一つ変わらず ありのまま何一つ飾らず
こんなんついていくしかない。
『COOL&SOUL』の「曰く付き」の件もそうだけど嵐ってズルい。物理的な距離が遠くなっても心の距離が遠くならないのは、翔くんがこうやっていつもコッソリ足並みを揃えてくれているから。
2009年
『COOL&SOUL』と『Re(mark)able』を履修すれば櫻井翔が描く嵐の物語の7割は理解できたと言って過言ではないと思うんだけど、あとの3割がめちゃくちゃ楽しかったりするのでまだまだ続きます。
お次は2009年発売のベストアルバムにシークレットトラックとして収録されている『Attack it!』。鬼の楽しさを誇るコルレス曲だから忘れがちだけど、実はとんでもねえことを言っている。
貫通あなたの心をガッチリ頂く様に仕組んでる
しがみついて来いよ
We're running 止めないで堪忍
心盗んだ俺らは犯人
太陽と月だって覆う
雲が集まり奏でる暴風雨
未だに勢力まだ拡大中
止まっているだけなどただ退屈
“前進あるのみ”何より愛する
笑顔に紛れた大怪獣
笑顔に紛れた大怪獣(.゚ー゚)がおーっ♡でマジで紛れがちだが改めて歌詞見るとクソイケで辛い。もはや怖い。ついていかない選択肢がない。しかもこれがあの『5×10』の10秒後に流れるのが何よりの恐怖。
つまり翔くんは10周年に合わせて『5×10』という表向きの曲、そして『Attack it』というファン向けの曲を書いているということです。
で、まぁ余談なんですけど、同時期に『空高く』のラップ詞も書いていたことを付け加えていいっすか。
あの頃の忘れ物を落とした
この距離が少しほろ苦い
色あせた 言葉 音 …誓い
また君との未来見たい
あの頃っていつだろう、ほろ苦いこの距離ってどんな距離?色あせた言葉と音、何より誓いってなんだ。“また”未来を見たいと願う君って誰だろう。
翔くんはこの詞についてメディアでは語っていない(たぶん)。『最後の約束』に合わせて必死で書いたのに放送で流れなかったって文句しか言っていない(たぶん)。まぁだからこそ、この曲が収録された『僕の見ている風景』のレコーディング前に書いた詞ではなく、『最後の約束』の放送(2010/1/9)前に書いた、つまり10周年の頃に書いた詞だってことが分かったんだけど。
10周年で人気が爆発したタイミング(裏を返せば昔から応援していた人が離れた可能性も考えられるタイミング)でこの詞を書いたことに特別な意味があると勘ぐってしまうことは仕方ないと思う。様々な憶測はあれど、まぁ真相は翔くんのみが知る。
ひとつだけ言えるのは、この曲に対する嵐ファン人気はそこまでであるが櫻井担人気はめちゃくちゃ高いです。これは以前開催した櫻井翔ラップ大賞で実証済みです。
2011年
さて、余談が長くなりましたが、この年我々は再び恐怖に陥ることになります。
『Beautiful World』収録曲『Rock this』の一節。
不可能を可能 We’re like スサノヲ
スサノヲってなんじゃろなって思うだろうけど、これはアマテラスに続いて日本神話に登場する神様の名前です。そして特筆すべきはスサノヲの性質。
アマテラスは太陽の神様なんですけど、スサノヲは嵐の神様なんです。気性荒めの神。スサノヲが怒ったら大地が荒れまくる系。引き起こす勢いがとんでもないのね。
で。もっかい言いますよ。スサノヲは嵐の神様なんです。
翔くんはこれまで嵐や自分のソロ曲に何度も「アマテラス」を登場させてるんだけど、「スサノヲ」はこのときになって初めて登場するんですね。嵐の神だよ。そんな使いやすいやつ、今まで封印してたんだよ。「勢いが凄まじい」というその特徴をとっても、『COOL&SOUL』でも、初ドームの『COOL&SOUL(DOME'07ver.)』でも、初国立の『Re(mark)able』でも、10周年の『Attack it!』でも、どのタイミングで出てきてもおかしくなかったと思うの。でも、今の今まで使わなかったんだよ。
そんな翔くんが満を持してスサノヲを登場させた、そのとき前につけた言葉が「We’re like」なんてそんな恐ろしいことがあるでしょうか。まるでスサノヲのようだと。嵐の勢いはスサノヲのように凄まじいんだと言っているのです。
『Rock this』は本当どの歌詞をとっても震える。
Hey!Are you ready my ladies?
まずここで抱かれるじゃん?
いまから未定です
見える明日を過ごすのはてんで御免です
着実なキャリアを伸ばしていたこの頃に、実は裏ではこんなこと歌ってた。
此処から我々にお任せ
あなた方の前じゃ誤魔化せんぜ
何度も言うけど、翔くんのリリックは時にファンとの足並みを揃えてくれる。着実にキャリアを伸ばしていくからこそ不安だったこのころに、わたしたちの前では誤魔化せないと嵐は歌っていた。強さと優しさの共存。翔くんが書く嵐の詞にはいつもそれが宿っている。
2015年
このスサノヲさんですが、2015年発売のアルバム『Japonism』収録の『心の空』で再び登場します。
スサノヲ散らす風防(you know?)
風防っていうのはその名の通り、風を防ぐこと、その設備や道具のこと。スサノヲ(嵐)は風防をも散らすってことですね。しかもニクいことに「you know?」がついてるんだよね。「知ってるだろ?」って。
クッソ…し、知ってるわバッキャロー!!かっこいいわ!惚れ直したわ!言わせんなよ!!
2016年
さて、2016年には『Attack it!』以来7年ぶりの全編ラップ曲『To my homies』が発表されます。この曲が収録されたアルバム『Are you happy?』が良い意味で力を抜くようなコンセプトだったので、これまでの全編ラップ曲とはずいぶん様子が違う。
違う。違うんだけど、ここまで翔くんが紡いできた嵐の物語を振り返ったあとに
僕らならば歴史のstoryがtell
あいつらの下へいま追い掛ける
という歌詞を見たら、何も思わずにはいられない。
下界にむけて高らかに言霊を吐き出した時を超え、爪を隠して牙を剥いた時を超え、頂点で高く笑った時を超え、そんな歴史のstoryを超え、もう一度いっしょに踊ろうってそんな未来ある?
穏やかで、優しくて、温かくて、これまでと全然違うじゃんって感じだけど。そうじゃなくて。敵なんかいなくなって、ギラつく必要なんかなくなって、だから笑っていられる。それってめちゃくちゃかっこよくないかって話なわけです。
わたしが嵐のこの状況を「かっこいい」と思う理由を、もうちょい分かりやすく言いますね。
2017年
『untitled』収録『「未完」』より
暗闇から光
‘僕らが拓いていく時代’
なんてあの頃はいきがり
いま、夢の先の未来
後ろなんて見ない
ただそう前だけしか見ない
目の前は誰もいない
その未来自分次第
はい以上です。そういうことです。
「僕らが拓いていく時代」「あの頃はいきがり」から導き出せることなんて1つしかない。
「そう俺らがあくまでタイトなパイオニア」(『COOL&SOUL』)と言っていたあのころの夢を叶え、今はもうその先も未来にいる。
後ろなんて見ない。
前だけしか見ない。
なぜなら目の前にはもう誰もいないから。
かっこよすぎませんか。
2018年
最後に、アニバーサリーツアーである『5×20』のセットリストに久々に組み込まれた『COOL&SOUL』についても触れておきたい。
もう参加した人はご存知のように、実は「ya so cute 二番煎じ」というサイコーにギラギラしたあの歌詞が封印され、「笑うぜ最後には」という歌詞に置き換わっている。
ここ数年で翔くんは、もう敵なんていないこと、だから牙を剥いたりしないこと、だからとにかく自分たちが笑顔でいられる未来を選択していくこと、今「もがく」理由はその一点であること、を、さまざまな方法で歌っているわけです。
ねえ思いませんか。
こんなに無敵で最強な未来ある?って。
だからわたしは、ヒョウ柄の衣装着た嵐もかっこいいけど、ピンクのジャケットに蝶ネクタイつけた嵐も「優しい」だけじゃなく「かっこいい」と思う。それに、今の嵐にはそれが似合ってると思う。何より、それが似合える嵐になったことが一番かっこいいと思う。
もう seamless あの彼方へ。そして嵐は永遠になる。
これが今現在までに語られてきた嵐の物語です。
しかし、実はこの物語にはまだ触れていなかった「序章」が存在します。
『COOL&SOUL』には、曲中にこんなセリフが登場する。
「4つ前のアルバムに話は遡るんだけどさぁ…Well, the story goes back to the second album which four albums ago.」
4つ前??なんやと??
翔くんはこのセリフについて、ラジオでこのように語っていました。
何がいいたいかといいますと。本来は、4つも前のアルバムに話はさかのぼるんだけどさ。つまり、2枚目のアルバムに話はさかのぼるんだけどさ。つまり、2枚目のアルバムから俺らはもうはじめてたんだけどさ。ということが言いたかったんです。日本語の方は、4つ前のアルバムに話にさかのぼるんだけどさ、なんだけども、英語の方ではThe story goes back to the second albam which is four albams ago. 実は2枚目のアルバム、とうの昔からということが言いたかったということなんです。
2002年
この2枚目のアルバムとは、『HERE WE GO!』に収録されている『Theme of ARASHI』のことです。
嵐はこの頃の話をするとき、決まって「毎日ホテルの部屋に集まってこれからの嵐について話し合った」「寝ないで朝まで話してたよね」「だからコンサート中ちょっと眠いのよ(笑)」なんて思い出話をする。そのおかげで当時を知らない人でも『HERE WE GO!』の時期はなんとなくしんどかった時期というイメージはあるとおもう。
そんな時代に翔くんはどんな詞を書いていたのかというと。
太陽光に被る雲
毎十秒近づくスロー
「確かな駆け出し」果てなき雨降らし
そして奏でる五人囃子
それは雨よけワイパー
壊すくらいだ
地団駄踏んで皆リタイア
世紀ミレニアム股にかけ
長い夜を明けて 朝になれ
そうさ確かに青二才
しかし5人と共にさらおう時代
小さい予報士たちも去ってすぐ
俺ら嵐がやってくる
歌詞だけを見てみても、「太陽光に被る雲」「毎十秒近づくスロー」「世紀ミレニアム股にかけ」などがCOOL&SOULにも登場することから、やはりTheme of ARASHIとCOOL&SOULは繋がっていることが分かる。
でも何が恐怖ってさ。さっきも言ったみたいに、HERE WE GOだよ?2002年だよ?この時代に「確かな駆け出し」「そうさ確かに青二才 しかし5人と共にさらおう時代」と言ってのける強さよ。トップになりたいだなんてまだ口にすることもできていなかったときに、嵐は今の自分たちを「確かな駆け出し」だと表現し、客観的に「青二才」だと評価しつつも、「5人と共に時代をさらう」ことになんの疑問も抱いていない。翔くんの言う「2枚目のアルバムから俺らはもう始めていたんだけどさ。」は、ただ単に歌詞が被ってるとかそんなことでなく、間違いなく「嵐がやってくる」というその現象のことを指している、のだとおもうんだよね。
そして予報士たち。このワードに見覚えがありませんか。そうです、『Re(mark)able』に登場する、あの甘い気象予報士たちのことです。このことについて翔くんはのちにこんな風に語っています。
ちなみに、俺が嵐に関して書いたラップは、実は全部繋がっていて。『Theme of ARASHI』の“小さい予報士達も去ってすぐ”で初めて“予報士”が出てくるんだけど。そこから始まって、『Re(mark)able』の最後、“予報士たちが堪えうつむく”で終わるっていう。
こんなに長々書いたのにさ。結局、私たちは櫻井翔の掌の上で転がされてただけってことです。
それはたぶん、今でも。
でも。きっとこれらのラップ詞を書いたときに、その当時は何言っちゃってんのって苦笑されることもあったと思うんだよね。それは翔くん自身も自覚していたと思う。信じてくれる人のほうが少なかったかもしれない。じゃあ、なんで書けたかっていうとそれはもう一つしかなくて。
予言じゃなくて、言霊だからだよ。
嵐の未来予想図ではない。理想像でもない。「口に出せば必ずその現象が起こる」という絶対に逆らえない神の力によるものだからだよ。だから「時代をさらおう」って言えたし、「タイトル奪い取る」って言えた。
内弁慶な嵐のそばには、いつでも櫻井翔の言霊があった。
だって時代さらったし、タイトルも奪ったもんね。
だから最後にはきっと笑えるって、今そう思えてるよ。
それにしてもさぁ、翔くん。
あなた、嵐っていうグループ名でほんとによかったね。
Sexy Zoneでリリック考えんのなかなか至難の業だった*2とおもうよ…。
嵐はJ-popグループである
音楽の知識とかなんもないのでトンチンカンなことを言っている可能性があるのですが、嵐の新曲『Turning Up』の一節「世界中に放て Turning up with the J-pop!」に惹かれてしゃーない気持ちをぶつけたくてとりあえずブログ開いてみたなう。
わたしは今まで嵐の楽曲をただの「楽曲」として聴くことをあんまりしていなくて、具体的に言えば翔くんの低音がヤバいとか翔くんの高音がヤバいとかあとはだいたいラップ詞の考察をしているのは皆さんご存知だと思います。
そんなわたしが嵐の楽曲を「J-pop」として強く認識した瞬間が明確にあって、それはたまたま聴いてたラジオで嵐の楽曲について話してるのを聴いてからなんですけど。
そのラジオでの話とは
嵐の楽曲はここ10年の「最高峰のJ-popは何か」という一つの答えで、J-popのスタンダードになってる。楽曲コンペとかの基準にもなってるから音楽業界にいる人だったらみんな聴いてるよ。
と。それを受けて、
そうそう俺もここ最近で1番好きだなと思った曲のプロデューサーに会う機会があったから「あの曲めちゃくちゃ好きで…」って伝えたら「あの曲ねぇ…実は嵐を参考にしたんですよ」って言われたんだよね。
的な話をしていたのです。
(某作曲家と某ミュージシャンのラジオなのですがわりとひっそりやってるネットラジオなのでラジオ名は明記しません。気になる方は個人的にわたしに聞いてね!)
ともかく、音楽業界にいると嵐の楽曲の話になることは多いんだって。このラジオ、嵐の休止発表のあとに放送されたラジオで、「実は嵐好きなんだよね〜」的な入り口から入ったから人間的な話かと思ったら音楽的な話で逆にすごい聴き入ったんだけど。
そんなラジオのあとで「嵐を、そしてJ-popを愛する全ての人に贈る」という謳い文句がついたベストアルバムが発売されたから、わたし的にめっっっちゃくちゃしっくりきたんですよ。
嵐の楽曲がJ-popの基準ならば、嵐の楽曲の歴史はJ-popの歴史の一部であって、嵐のベストアルバムはJ-popのベストアルバムでもあるんだと。
たぶんラジオ聞く前にこのキャッチコピー見ても特になにも思ってなかったと思うんだけど、「嵐の楽曲がJ-popの基準」と認識してから見たこのキャッチコピー、すごい「正しい」ものとして理解したというか。つまりカッコつけたキャッチコピーとかじゃなくただの事実を言ってるだけなんよね。だからこそ、それを自覚して「J-popを愛する全ての人に贈る」と言い切れる嵐が最高にカッコいいんよね。
わたしが「turning up with the J-pop!」にこんなに惹かれるのは、ベストアルバムで漠然と思っていた「嵐のJ-popに対する矜恃」を確信できた嬉しさなんだと思う。
公式のツイート「J-popを広めよう!」もすごい良かった。広めよう!なんだよね。いっしょにね。言葉に嘘がないのもいい。このシングルが嵐史上(ていうかたぶんジャニーズ史上)初のデジタル配信シングルなのもいい。Youtubeで全世界一斉にMVを公開したのも最高。世界中に放て turning up with the J-pop!の中に一つも嘘がない。『Turning Up』は文字通り世界中に放たれた。
ちまちました嵐が好きだから〜、とか、そんな日本背負っちゃうなんて〜とか、マジうっせえ。そんなことは今はどうでもよくて嵐は20年間こと音楽に関してはJ-popに捧げてきたんだよと言いたい。その嵐が20年の節目に音楽に乗せていう言葉が「J-popを広めよう!」なんてそんなんJ-popいま泣いてるよ。嬉しすぎて。そんな恩返しのされ方ある?よかったねJ-pop。
まあそんな感じで、世界中に放つのが「嵐」ではなく「J-pop」なことに、嵐の謙虚さとか真面目さとかでもプライドとか自覚とかいろんなものが詰まっててどうしようもなくグッとくるよな〜〜〜という話でした。
しかしまぁ、11/3の会見もSNSを解禁したタイミングも新曲もプロモーション方法もぜんぶ完璧すぎて嵐様こわいわ。すごすぎるわ。
正直今までずっとやらないでほしいな、と思っていたSNSも、いざ始まってみればなんか全然心配ない。嵐なら大丈夫やろって思える。だって事実だけを並べると「嵐様こわい」って思うけどインスタライブ見たら「国立でフライングで登場するときの練習」つって翔くん担がれてるんだもん。なにが嵐様こわいだよ。嵐マジでバカ。だいすきだよ。
100/100
過去のブログを読んでくれたことがある方とか、わたしのTwitterをフォローしてくれている方なんかは分かるかもしれませんが、わたしは「優しい翔くん」に寂しさを覚えるとクソ重文章を書いてしまう傾向があります。
優しい翔くんも好きだ。でも、「ya so cute二番煎じ」と睨む翔くんにどうしたって胸が震えてしまう。スーツ姿もかっこいいけれど、国立のど真ん中で「今時代が手の中に!」と高らかに叫ぶ翔くんが忘れられない。厄介な性質。過去の記事を読んでみてもラップのことを延々と語ったり、キャスター業に力入れすぎてね?とかほざいたり、何なら刺激が足りねえよ!って一瞬担降りまでしてる。CSRとわたし、どっちが大事なのよ…!?みたいな。「翔くんは優しくなんかない」というタイトルの分かりやすすぎる記事まで書いてますね。とんがってますね。この記事けっこうお気に入りなんですけどね。
ところで、去年の夏頃、ちょっと物騒な事件、っつーか替え歌が流れた。わたしは彼らのことも好きだしそこについて言及するつもりはないんですが、彼らが翔くんの司会番組「音楽のちから」に出演したときのことは言及させてください。翔くんは開口一番明るい声を出し、一人一人に「よろしくね」と握手をした。このときの翔くんの行動はけっこう賞賛されていて、それはまぁ良いことなんだろうけど、「怒りを隠して」とか「笑顔の裏で」とかそんな枕詞がついていたことがどうしても解せなかった。本当は怒っているけど表に出さず大人の対応して偉いとか……そうかな。たぶん。たぶん翔くんはほんとに怒ってないんだと思うよ。テレビだからとか、大人だからとか、そんなんじゃなく。嵐だから。「がんばれよ」という言葉に他意なんてあるはずもなく、本気で後輩のこれからを応援しているんだと思う。だって翔くんは天下無敵の嵐だから。
やっと、やっと分かってきたことがあるんですけど。わたしは優しい翔くんに物足りなさを感じていた。けど、違う。翔くんは優しくなれたのだ。優しさは強さの上にある。強さを経て、優しくなったのだ。わざわざ睨まなくても誰も真似なんてしないから。わざわざ大きな声なんか出さなくても時代があなたの手の中にあることなんてみんな知っているから。
あの強さを経て今の優しさに辿り着いたことが実は一番強い。今回のアニバーサリーツアーでさ、COOL&SOULが流れたとき。もうそりゃわくわくで2018年版「ya so cute二番煎じ」を待機していたんだけど。翔くんはそんなわたしの期待を裏切って「笑うぜ最後には」と歌ってきたんだよね。いやなんかもう自分を恥じたよね。今の翔くんに「ya so cute二番煎じ」なんて言わせようとした自分を。
翔くんが揶揄する相手なんてもう誰もいない。そんなんもうどーでもよくなった。嵐が最強になったから。
最強になった嵐は、柔らかく温かく、どこまでも優しくなった。そして翔くんはいつも笑っている。4人といっしょに、いつも笑っている。それが一番かっこいい。
だけど、そんなふうに優しくなった翔くんが、しかし20年前からずーっと変わらず優しくしている人がいる。
わたしだ。わたしたちだ。
翔くんはおそらく、「20年」ということにわりとこだわりを持っている。15周年を迎える前なんかは、ハッキリと「今日の活動が評価されなかろうと華々しい20周年があればそれでいい」「20周年を盛大にお祝いできるように逆算して動いてる感じ」なんて言っていた。ちなみにハワイから戻ってきた彼は 「なんかもう20っていう数字もどーでもよくなっちゃった!」とか言いやがった。かわいい。まぁそれでも、過去あれだけこだわっていた20周年に何も思わないわけがないし、そうでもなくても翔くんはけっこう記念日とかを大切にしてくれるオトコだ。結婚したいですね。
記念日を大切にしてくれる翔くんは、自分以外の人の記念日さえ大切にしてくれる。先輩の20周年とか、後輩の10周年とか、折に触れて「おめでとう」と言う。そして必ずこう付け足す。「ファンの皆さんもおめでとう」。
20周年を迎えた嵐は各所でいろんな人に祝われるだろう。だけど翔くんはおそらく、わたしたちも祝われるべきだと思っている。別にいいのに。全部好きでやってることなのに。わたしたちが「おめでとう」と言われることなんて本来なにもないはずなのに。それでもあの人は祝われるべきだと思っている。翔くんとはそういう人だ。
翔くんがわたしたちを祝う手段。5×20の挨拶とか、この前のオトノハとか。俺はちゃんと見てるよ。俺はちゃんと分かってるよ。みんなも分かってるでしょ?そういう、言葉。というか愛。
しぬほど嬉しかった。
けどね翔くん、そんなこと言われなくても分かってるよ。他の誰が分からなくたってわたしたちだけはぜんぶ分かってるよ。わたしたちが分かってることだって翔くんは分かってくれてるでしょ?ついでに言うと、わたしたちが分かってることを翔くんが分かってくれてることもわたしたちは分かってる!
にほんごが難しくなってきたけど、まぁ全部分かり合えてるって話だ。
だからわざわざ言う必要ないんだよ。でも翔くんは言うんだよ。「俺のファンは分かってくれてると思うけど」ってつけて。言うんだよ。分かってない人たちに言うんじゃないよ。分かってるわたしたちにわざわざ言うの。
ドームに集まっている5万人の中にはいろんな人がいることなんて翔くんが一番知ってるはずなのに、翔くんのうちわを持つわたしたちにだけ言うの。言わなくても分かるわたしたちにだけ言うの。
「きっと見てくれるであろう誰か」がたくさんいることも知ってるくせに、「必ず見てくれているあなた」に向けて言うの。「あなた」はそんなこと言われなくても分かってるのに。分かってるのに、言うの。
もうそれは、翔くんの、わたしたちに対する「ファンの皆さんもおめでとう」でしかなくて。ファンも祝われるべきだっていう翔くんの想いが、いつもの「ファンの皆さんもおめでとう」という第三者の言葉としてではなく。「私」と「あなた」として。
翔くんはわたしたちを祝ってくれる。わたしたちが1番ほしい言葉で、祝ってくれる。
翔くんは、ずーっと優しかったんだけど。20年前から、わたしたちには変わらずずーっと優しかったんだけどさ。でも20周年だから。記念日だから。この20年間の、翔くんと、わたしたちの、思い出の答え合わせ。それが翔くんからわたしたちへのプレゼントだった。
それにしても20年越しのプレゼントって。温めすぎ。伏線の回収が盛大すぎ。いくらなんでも記念日を大切にしすぎだ。そしてそんな翔くんが好きだ。
翔くんは普段、愛してるとか好きとか言わないし、日常のちょっとしたサプライズとかも苦手だし。記念日が過ぎれば、こんなふうに言ってくれることはたぶんあんまりなくなる。
でも、だいじょうぶ。
だってわたしたち、言われなくても分かってるから。
翔くん、お誕生日おめでとう。
こんな素敵なプレゼントをありがとう。
しぬほど嬉しかったよ。
まぁそんなこと、言われなくても分かってるんだろうけど。