SHIO BEAT

櫻井翔くんだいすき芸人のブログ

今、伝えたいこと

作文コンクールに出品したものですが、どうせテーマが「伝えたいこと」なのでこちらにもUPすることにしました。




私には、10歳年上の友人がいる。それだけ歳の離れた彼女と私を繋ぎ合わせてくれたのは、あの人気アイドルグループの「嵐」だ。彼女は嵐が好きで、私も嵐が好き。たったそれだけの出会いだった。

その彼女は、耳に障害を抱えている。左耳は全く機能しておらず、補聴器を埋めた右耳から拾ったわずかな音で生活をしているそうだ。彼女は絶望したと、その時の話をしてくれた。2年半前、いつものように目を覚ますと周りの音が一つも聞こえてこなかった。原因も分からない。分かったことは、これから自分は不自由な生活を強いられるということだけ。だけど、生活が困難になることよりも何よりも彼女が辛かったことは、大好きな音楽が聞けなくなってしまったことだったそうだ。

そんな彼女を励まそうと、彼女の友人はあるプレゼントをした。それが、嵐のコンサート映像を収めたDVD。彼女は瞬く間に引き込まれていった。キラキラと輝く衣装を身に纏い、一糸乱れぬダンス、さらにはワイヤーなどを使った壮大なアクションを繰り広げるその姿。大空に舞い上がる何万個もの風船、何万発もの花火、そして噴水。それに酔いしれ黄色い歓声をあげ続ける観客たち。相変わらず、音は聞こえてこない。だけど、これなら、目があれば十分だ。彼女が絶望の闇の中で見つけた希望の光だった。

彼女は音のない世界でいつも笑っている。嵐を好きになり、そこで新たな友人と出会い、素敵な人に囲まれ、自分は幸せ者だ、と。改めて私は、幸せほど他人の尺度で図ってはいけないものはないと痛感した。耳が聞こえないことを人は不幸だと言うのかも知れない。しかし、そのおかげで素敵なものに出会えたことを、彼女は幸せだと言って笑うのだから。

もし、今、絶望の闇に迷い込んでいる人がいるのならば、私は伝えたいことがある。そこには本当に闇しか広がっていないのか。目を凝らして光を探そうともせず、端から諦めて目を閉じてしまってはいないか。どんな闇にも光は射すはずだ。どんな闇でも自分こそが光になりたいと願う人は存在するはずだ。そうやって今までも、どうにか歩いてきてこれたことを思い出してほしい。どうか、諦めること以上の闇は存在しないということに気づいてほしい。

2014年以降に発売された嵐のコンサートDVDには、ある新機能がついた。字幕モードのオン・オフの切り替え設定だ。その機能により、歌詞だけではなく、観客に向けた煽り、中盤で行われるMCなどの全てに字幕を表示することが可能になった。これでもっと楽しめる。彼女は嬉しさのあまり泣いてしまったそうだ。

絶望の闇の中にいた彼女に、嵐はまた、眩しいほどの希望の光を与えたのだ。