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SHIO BEAT

櫻井翔くんだいすき芸人のブログ

祝福の花束

みんなを信じて進んできたら、ここに立っていました。

ハワイコンでのニノの挨拶の言葉です。ここでいう“みんな”とは、嵐のメンバーのことを指すのかもしれない。けれど、わたしはなぜか、この言葉が脳まで届いた瞬間、ストンとファンのことだと理解していました。とんだ自惚れ野郎だ。けれど、理屈では説明できない本能的なもので、それはもう確信的に、わたしたちのことだと思った。


ハワイでコンサートをするということは、たぶん嵐の前代未聞の我儘だったのだと思います。

"ハワイに帰る"ことの本当の意義は多分、俺ら5人にしか分からないし、理解もされないんじゃないかな。

ものすごいお金とものすごい人の数とものすごいリスクを背負って、5人だけで背負って、嵐は離陸した。滅多に言わない我儘を、それでも叶えたい我儘だった。

嵐のハワイコンとはたぶんそういう次元にあるものだ。…そう、あの日までは思っていました。なのにどうだ。嵐がハワイなんて場所まできて伝えたのは、溢れるばかりのわたしたちへのありがとうだったなんて。そんな結末があるとおもう?ないよ。ないわ。本気でないわ。

本気でない、けど、嵐はそういうグループだ。

ハワイコンが発表されたときの殺伐としたタイムラインに、わたしたちはこんな宝物みたいなものを忘れてきたんだと思いました。

嵐は何のためにコンサートをするのだろう。たぶん、その中にわたしたちの存在が大きくあることが、どうしよう。きっとそれは幻想でも自惚れでもないって思ってしまう幸せの塊みたいなこの気持ちを、どうしてくれよう。…そうだ。嵐はそういうグループだった。

歌を聴きたいと思ってくれてありがとう。歌を歌わせてくれてありがとう。テレビに出たいと思ってくれてありがとう。テレビに出させてくれてありがとう。僕らとみんなっていうのは、そういう関係なんだよね。

嵐の優しさは底なしだ。それでいて暖かい。それはあり得ないほどの至福であり、ときに、ものすごく切ない。

5年前。嵐のデビュー10周年。それは夢みたいに華々しく、そしてそれとは裏腹に、残酷であった。わたし、ある人が言っていた言葉が忘れられないんですよね。

嵐の10周年を、花束抱えてずっと待っていた人たちがいる。だけど、怒濤の人混みに押しつぶされて転んでしまい、花束は手から零れ落ち、たくさんの足に踏まれ、ついにひしゃげてしまった。
でも、だけど。そんなことも、嵐はちゃんと気づいている。
気づいた上で、みんなに、みんなに同じように笑っている。

どんなときも。どんなときも。



今だって。

みんなに同じように、ありがとうを言う。

あれから5年が経った。チケットを入手することは、5年前よりもさらに困難を極めている。わたしの周りの、嵐のことを大好きでたまらない人たちが、みんな幸せになれますように。そんなことを祈って、やぶれて、泣くことが、あと何年続くのかと思った。これは正直疲れる。もういいやって投げ出したくなるような感情だと思う。なのに、涙を拭って、もう1度新しい花束を買いに行こうとするのはさ。何回も何回も何回だってそれを繰り返すのはさ。

嵐が悪いわけじゃないから、じゃないんだよ。
嵐が良いから、なんだよ。
嵐が大好きだから、なんだよ。

花束の形も大きさも量も色も、たぶんなんだっていいのだと思う。嵐は、どんな花束であろうと、そこに込められた想いの種類も量も違うと知っておきながら、花束を差し上げた人全員に、同じようにありがとうって言う。ありがとうって思ってるから、ありがとうって言う。同じように。

それが嵐だ。それが嵐だ。それが嵐だ。それが嵐の、いいところだ。



嵐さん、デビュー15周年、本当におめでとう!

15年間、続いてくれてありがとう。
15年間、続かせてくれてありがとう。