SHIO BEAT

@pn_3901

味方

2014年、6月に発売された日経エンタテイメントでの翔くんの発言は大きな波紋を呼び、櫻井翔のファンを称する人でさえ一部は非難をした。その後彼がニュース番組で解説した内容が発端となり、何とも大人気のない「あぶり出し」が行われた。選挙の特番に出ると偏見の塊の目を向けられ、オリンピックのキャスターをすると運動音痴がと笑われる。コンサートの演出は5人の総意だと力強く主張したときは、「そうやって逃げるんだ」と理解しがたい一言で片付けられた。昔に比べると減ったと思っていた敵が、案外今もたくさんいることに散々気づかされた2014年でした。

もちろん翔くんにだって短所くらいあることは認めています。だけどわたしは翔くんが好きだから、認めていないことに関してはそれなりに腹も立ってしまいます。悔しくてちょっと泣いたりもした。けれど、敵を、翔くんに知られたくないと思ったことだけは、本当に一度もない。

わたしは今まで、わりといろんな翔くんの表情を見てきたつもりです。顔を全部崩して笑う顔も、こっちが震えるくらいの真摯な目も、泣けないあの人が鼻を赤くした一瞬も。全部大切で全部覚えてる。だけど、わたしが一番好きなのは、たまらなく好きだって思うのは、翔くんが高い壁を越えるときにする顔なんです。眉毛をキュッとあげて、口をへの字に結んで、ちょっと厳しい、だけどかっこいい、あの顔なんです。すこし踏ん張るときの翔くんが、やっぱり一番かっこいい。

敵がたくさんいればいるほど、その数だけ、わたしは翔くんの一番好きな表情を見ることができる。なぜなら翔くんは踏ん張ってくれるから。壁を越えてくれるから。

翔くんにはまだ伸びしろがある。ファンとして、こんなに楽しみなことはないと思うのです。

未来は今以上。

だから、だから翔くんには敵を知ってほしい。それで怯む人じゃないことくらい知ってる。越えてみせようって覚悟を決めることができる人だってことくらい知っているからです。


だから、33歳の翔くんへ。
また、あの顔が見たいな。


けれど翔くんに知っていてほしいのは、なにも敵がたくさんだってことだけではありません。思うように敵は減らないけど、思った以上に味方はいる。恐いことなんてきっとないよ。

もう33歳だから、昔みたいに突っ走ることはできなくても、止まらずに、慎重でもいいから、どうか、恐れずに、優等生になんかならないで、前だけを見ている翔くんでいてください。それだけで、もう十分わたしの大好きな櫻井翔くんです。


翔くん、33歳のお誕生日本当におめでとう!



「未だに、本当にこれでよかったのか分かってはいません。でも悪くはないって思えるよ。思えたよ。」

32歳の翔くんはそんなことを言っていましたね。だったらわたしは、翔くんが本当にこれでよかったって思えるまで、いつまでだって、味方でいるよ!

祝福の花束

みんなを信じて進んできたら、ここに立っていました。

ハワイコンでのニノの挨拶の言葉です。ここでいう“みんな”とは、嵐のメンバーのことを指すのかもしれない。けれど、わたしはなぜか、この言葉が脳まで届いた瞬間、ストンとファンのことだと理解していました。とんだ自惚れ野郎だ。けれど、理屈では説明できない本能的なもので、それはもう確信的に、わたしたちのことだと思った。


ハワイでコンサートをするということは、たぶん嵐の前代未聞の我儘だったのだと思います。

"ハワイに帰る"ことの本当の意義は多分、俺ら5人にしか分からないし、理解もされないんじゃないかな。

ものすごいお金とものすごい人の数とものすごいリスクを背負って、5人だけで背負って、嵐は離陸した。滅多に言わない我儘を、それでも叶えたい我儘だった。

嵐のハワイコンとはたぶんそういう次元にあるものだ。…そう、あの日までは思っていました。なのにどうだ。嵐がハワイなんて場所まできて伝えたのは、溢れるばかりのわたしたちへのありがとうだったなんて。そんな結末があるとおもう?ないよ。ないわ。本気でないわ。

本気でない、けど、嵐はそういうグループだ。

ハワイコンが発表されたときの殺伐としたタイムラインに、わたしたちはこんな宝物みたいなものを忘れてきたんだと思いました。

嵐は何のためにコンサートをするのだろう。たぶん、その中にわたしたちの存在が大きくあることが、どうしよう。きっとそれは幻想でも自惚れでもないって思ってしまう幸せの塊みたいなこの気持ちを、どうしてくれよう。…そうだ。嵐はそういうグループだった。

歌を聴きたいと思ってくれてありがとう。歌を歌わせてくれてありがとう。テレビに出たいと思ってくれてありがとう。テレビに出させてくれてありがとう。僕らとみんなっていうのは、そういう関係なんだよね。

嵐の優しさは底なしだ。それでいて暖かい。それはあり得ないほどの至福であり、ときに、ものすごく切ない。

5年前。嵐のデビュー10周年。それは夢みたいに華々しく、そしてそれとは裏腹に、残酷であった。わたし、ある人が言っていた言葉が忘れられないんですよね。

嵐の10周年を、花束抱えてずっと待っていた人たちがいる。だけど、怒濤の人混みに押しつぶされて転んでしまい、花束は手から零れ落ち、たくさんの足に踏まれ、ついにひしゃげてしまった。
でも、だけど。そんなことも、嵐はちゃんと気づいている。
気づいた上で、みんなに、みんなに同じように笑っている。

どんなときも。どんなときも。



今だって。

みんなに同じように、ありがとうを言う。

あれから5年が経った。チケットを入手することは、5年前よりもさらに困難を極めている。わたしの周りの、嵐のことを大好きでたまらない人たちが、みんな幸せになれますように。そんなことを祈って、やぶれて、泣くことが、あと何年続くのかと思った。これは正直疲れる。もういいやって投げ出したくなるような感情だと思う。なのに、涙を拭って、もう1度新しい花束を買いに行こうとするのはさ。何回も何回も何回だってそれを繰り返すのはさ。

嵐が悪いわけじゃないから、じゃないんだよ。
嵐が良いから、なんだよ。
嵐が大好きだから、なんだよ。

花束の形も大きさも量も色も、たぶんなんだっていいのだと思う。嵐は、どんな花束であろうと、そこに込められた想いの種類も量も違うと知っておきながら、花束を差し上げた人全員に、同じようにありがとうって言う。ありがとうって思ってるから、ありがとうって言う。同じように。

それが嵐だ。それが嵐だ。それが嵐だ。それが嵐の、いいところだ。



嵐さん、デビュー15周年、本当におめでとう!

15年間、続いてくれてありがとう。
15年間、続かせてくれてありがとう。